人生観

こちらの日記はオーディオとまったく関係ない個人的な雑談ですので、
お読みにならない方が良いかと思います。
Windows10強制中かつ、荷物を持ち出す業者待ちなので、
暇つぶしでMacから書きこんでいます;
が長くなってしまいます。
あくまで僕個人のことでして、他者に強要する気も共感を求めるものでもありませんし、
人生の途中で劇的に変わるかもしれません。ぶれるのが人間本来の姿かなと
(迷いながら生きる悪たる存在?)

違う考えの方もおられますので、それをふまえてあくまで暇つぶしで。。





プアオーディオ(貧者のオーディオ)と言っていますが、
実際にプアならオーディオや趣味どころじゃないと思います。
(ゆとりも見いだせない、日々で精一杯な方は沢山いらっしゃると感じています)

世の中にはもっと大変な経済状況の方が多くおられるので
僕は決して貧乏(プア)とは言えないのですが、職的に不安定な側なので、
我が家は恵まれている方だと思っていても、先が見通せない感じです。

ただ自分より若い世代の方に何か言えることは、
先が見通せないけど何らかの他者との人間関係を維持した状態の方がいい
という事です。(仕事以外で。結婚も一つ、それ以外の人間関係でもいい

諸々の事情でいろんな選択ができる現代ですが、
最後一人になってどうするかを今から考えておくと
良いと思います(遺言書を作るとか)。

あとは過度に社会に依存しないことです。
国(体制)が滅んでも山河は残ります(お隣の故事ですが;)。

これは僕の人生観なので、皆さん違う考えをお持ちだと思いますが、
結局最後は自分自身が覚悟を決めて行動しないといけなくなるし、
大きなものに巻かれて生活すれば、当然依存型で浮き沈みを
共にすることになります。そういう人生の送り方もあります。
昭和的生き方でしょうか?イケイケどんどんで社員は家族な時代です。
今は、、、全然ですよね??中には運や才能でそういう境遇の方もいるでしょう。

NHKでちょうど真田丸をやっていますが、世の流れは中々
読めませんので、自分がどうしたいのかは常に考えなければいけません。

主従で就いた先が大企業(大名)だろうと小国(中小)だろうと、
世の流れで大きい所が滅び、小さい所が残ることもありますし、
その時々で権力の行方が違うというドラマです。
会社が倒れて首になっても切腹で命がなくなる訳ではありません。
ただそれに近い社会からの隔離はあります(僕もかつて経験しました)。

若い方は憧れもあり「安定志向」だと言われますが、
その嫁ぎ先が豊臣なら徳川の世では浪人ですし、
徳川で安泰と思っていたら維新でまた違う世になる。
戦前のお金持ちが、戦後政府によって
大きいものに巻かれているのは、
長期的視点では、なんら安定していないのです。

受験勉強で日本近代史について端折られていますが、
明治~大正~昭和の間に、現在ではとても信じられないことを
日本も内政で行っていますので、安全神話は無いと思っています。
それ(安定)を口にする人は僕は信用できません;
マスメディアや宗教の立ち位置も現在と全く異なっています。
東西冷戦から持ち込まれた、左<>右というカテゴライズもありません。
国立国会図書館の資料を見る機会があれば、当時のものが読めて多分驚くと思います。


今は、出生と介護にお金がかかりすぎる現状はなんとかしないと、
本当に内側から滅んでしまうと思いますが、、、
目の前の株値が重要な方もいますし、その他色々な利権が現実にあり、
人それぞれ利害関係が違いますからね。

僕は自身の考えで生きているので、何とも言えませんが。。。

ついこの間亡くなった祖母は大正生で戦時を経験した人なので、
反骨精神か憂国心なのか、お国に頼ったりせん!という感じで
介護保険類(制度)を一切使わずに亡くなってしまいました。
(母親がその分、介護で苦労しました)

痴呆症でガンでもあったのですが、もう無理、
身内がさすがに施設に入れようとしたそのまさに前日に亡くなりました。
皆、葬儀でそういうとこに入りたく無かったんだろうと話していました。

自身で生前に戒名(法名:法号)も京都に貰いにいっており、
いわゆる終活を全てやって、考えあって日本尊厳死協会に入って、
救急隊の方に来ていただきましたが、協会カードを見せると
強く胸を押すなどせずに分かっておられる対応をされたようです。
(老人の胸を心臓マッサージで強く押すと肋骨が折れます)
ですので、奇麗な姿でいきました。

そういう人生もあります。

父親が亡くなった時は、集中治療室で管をいっぱい通され、
やせこけた姿で、忍びなく、やはり最後に延命処置をするか
聞かれたとき、肋骨が折れるし、母親は断りました。

それ以前に昏睡のような状態を薬で保っていて、一度だけお医者さんが
タイミングを見計らって、濃度を弱めてもらい終末医療です)
親族を呼ぶようにということで、僕も行きましたが、話せない状態なので
筆談と表情でした。その時初めて父が一瞬涙を見せた姿が記憶に残っています。

特殊な病(まだ現代医学では根本治療ができません。いずれ?
だったので、医療解剖に協力しましたが、選択は良かったと信じています。
(残念ながら終活をせずに亡くなったので、本人しか分からない事が多く、
その後の銀行、役所、パソコンのパスワード!がとても大変でしたが、
子である僕と妹は全財産を放棄して母親に譲渡しました。)
骨肉の争いごとがよくあるそうですが、そういう訳で我が家は全くないです。

僕の世代は年金は無いに等しいであろう感じなので(払い続けていますが)、
救命に担ぎ込まれたら延命処置せずにさっさと灰にして死なせてくれと嫁に言っています。
どちらが先にいくかは分かりませんが、男の方が寿命は短いはずなので。

僕自身は2度大きな震災に何らかの形で被災しています。
1回目は阪神淡路、2回目は東日本。
ついこの間まで仕事で九州にいて、友人は熊本で多く被災していますので、
3回目もあった可能性が十分ありえました。
次の東海、四国、あるいは関東直下のことも考えて生活しています。
日々、頭の片隅には「こうなれば、ああなる」という過去の実体験と
そこから得た想像をもった状態です。
簡単に人が生涯を終える(終えた)所を何度も見ました。死臭もすぐ分かりますし、
昨日まで立ってた高層ビルが玩具みたいに崩れ、煙で視界ゼロという体験もしました。
3日間ほぼ飲まず食わずというのもありました。
そういう実体験をすると色々死生観について、違う見方になっていきます。
そういう人生もあります。

人それぞれ。画一の規格化された(普通は何か?)人生は無いという事です。
なんでこんな日記になったかといいますと、今日は亡父の命日だからです。

あとWindows10の画面を見ながら、父親のノートPCのパスワードが最後まで分からず
捨てていいのか迷ったことを思い出しました。
で、相変わらずWindows10はフリーズ中です。